中道往還は「いさば」(魚介類の道)として、江戸時代駿河湾で水揚げされた魚を1日で甲府へ届けたといわれています。
一日で甲府まで届けられるか、魚は腐らないのかを推理しました。
1.1日で届けられるか?
江戸時代の旅人の一日距離は長くても10里(約40キロメートル)程度だったそうですが、沼津あたりから甲府まで約80キロですので半分までしか歩けない。
馬に荷物を積ませたとして、さらに輸送に従事していた人々の脚力がどの程度だったかは分かりませんが、さすがに一人では歩けないのでは?
魚は気温が下がる夜に運んだと、博物館の説明資料にありました。
おそらく、朝水揚げした魚は中間地点の上九一色村あたりで夕方に中継され、別の人が一晩中歩いて、翌朝に甲府へ運び込まれたものと想像します。
(一定の年齢以上の方には、忌まわしい事件を思い出す村名です。)
2.魚は腐らないのか?
中継地点が白糸の滝あたりではないかと考えた理由は、駿河湾からの中間地点にあることのみならず、このあたりから鳴沢方面へ若彦道という鎌倉時代からの古道が分岐していた事を博物館で発見いたしました。
この若彦道の沿道には、富士・大室・本栖といった風穴が点在しています。
風穴といえば、天然の冷蔵庫ですね。
江戸時代は小氷河期だったそうで、この風穴を利用して氷を製造していたのではないか?と想像してみます。 朝、沼津から氷につけた魚を馬に乗せて商人が夕方に朝霧高原周辺まで来て荷を預け、空馬に風穴で製造した氷を乗せて、沼津へ帰る。
中継地点で魚を引き継いだ商人が、荷に新しい氷を継ぎ足して甲府を目指す。
更に魚の安定供給のため、一部を氷穴に冷凍保存していたとしたら・・・。
現在のところ、中道往還の魚の具体的輸送方法について記述された文献には出会っていませんから、すべて私の勝手な想像ですのであしからず。
山梨県立博物館に、上九一色村の分厚い郷土資料があります。戦国時代から上九一色衆と呼ばれる人々が、駿府と甲州の間で様々な活躍していたそうですので、何かヒントがないかじっくり調べてみようと思い、その日を楽しみにしています。