我家は都内のどうってことのない場所にあり、長らく純粋な住宅街だと思っていましたが、近くに比較的知名度の高いお寺とお宮や「代官屋敷跡」などもあり(地元の人は殆ど行きませんが)、これらを目指して来るのか、週末になると自宅前の歩道は観光客の往来が多く、車を車庫に入れるのにも一苦労したりします。
そしてその押寄せて来る観光客の半分以上が外国人の様に見受けます。アジア系の人も多いので一見日本人に似ているのですが、やはり所作が微妙に違ったりして「もしかして」と思うと、やはり良く分からない言葉を交わしたりしています(笑)
事程左様に生活圏に至るまで国際化は進んでおり、コロナ禍で一時的に少なくはなりましたが、もはや逆戻りはあり得ない世の流れであるのかなと実感しています。
以前のブログでも、活躍する若い日本人のスポーツ選手について触れました。野球、サッカー、ゴルフ(とりわけ女子)、ラグビーなど、もはや世界に追い付くという形容レベルではなく、正に世界の頂点に立つ日本人プレーヤーが続々出現しています。真に頼もしく、かつ(厚労省の規定では)高齢者となる身を元気にしてくれる存在でもあります。現在日本の経済社会は行き詰りの状態が顕著ですが、彼ら彼女たちを見ているとこの国の未来も決して捨てたものではないなと、また勇気も出てきます。
物事は順調に行っている時には敢えて何かを変える必要性も感じられずなかなか改革が進まないで、気が付いてみると世の流れに後れを取ってしまったりするのですが、現状への閉塞感が高まり、このままでは未来はないという危機感が強くなると、そこで初めて現状を敢えて打破する機運が生まれ、新たなステージへと進んで行けるものです。正に禍福は糾える縄の如しが世の常ですね。
現在の国際化に対する批判は根強くあり、また外国人との共生による摩擦も各地で大きくなっていますが、各論的或いは短期的には確かにマイナス要素は大きいものの、長い目で見ると少子高齢化に悩むこの国にとって、外国人のより本格的な受入れは避けては通れない選択肢ではないかとも考えます。何より日本の歴史は古来移民と海外からの大小の刺激や圧力によって進化して来たというのが実態ですから、より長期的にこの問題とどの様に対処していくかについても、国の将来を考えた決してあなた任せではない、もっと国民的な議論の必要性を肌実感として思う今日この頃です。