首都圏を始めとして、長期に亘った「緊急事態宣言」が今月末にほぼ全域で終了し、来月よりは経済社会活動の正常化を目指して、制限緩和の実証実験が行われるとのことです。
これに対し、「この大切な時期に間違ったメッセージを国民に与え、気の緩みに繋がりかねない」という意見も出されています。しかしながら東京では今年に入ってからは既にほぼ全期間が「宣言」か「マンボウ」であり、なおかつ今後もこの感染症はまだ収束する見通しが立っている訳ではなく、当分は充分に神経を払う必要がありますので、現時点のみならずこれからも、引続き「大切な時期」であると考えるのが至当と判断します。
先日ある新聞のコラムで、この「気の緩み」について、ある方が実にシンプルな意見を述べていました。曰く「確かに感染症のことだけを考えるのであれば、今後もひたすら引締めていくのが最善かもしれないが、人は生きて行く上で「希望」というものがどうしても必要である」というものです。
確かに今までの反動もあって「ようやく宣言期間が終わりそうだ」という雰囲気は充満しており、人出も大変多くなってきています。もしかしたら感染対策という面だけを考えれば、既にマイナスの作用となっているのかもしれません。
ではどのように考えれば良いのでしょうか。この難しい時局において我々が改めて留意すべきなのは、物事には必ず両面があり、作用があれば必ず副作用があるということです。
従ってある施策を講じるに当たっては、そのプラス要素のみならず、必ず生じ得るマイナス面をも考慮し、事の全体もしくは社会全体、更には現在のみならず将来を見据えて、取るべき方向性を選択するということです。
即ち「こうすれば絶対に良い」という正解はまずなく、何か一つのことのみに焦点を当てるあまり「部分善は全体悪なり」という状況に陥らない様、常に物事や事象全体を見て、歩むべき方向を判断していかなければならないという事です。
今回の事も人それぞれの考え方というものがあり、こうすれば絶対に良いという選択肢はありません。よって我々ができることは可能な限りの衆智を集めて、最後はリーダーが全身全霊で判断するという事であると考えます。
コロナ禍は依然として続いていますが、この対策を永遠に最優先して行くだけでは、社会は(そして何よりも人の心は)持ちません。いつかは次のステップに向けて舵を切らなければならないのです。日本に先立ち、欧米各国では社会活動の正常化に向けて、色々な実証実験から現在は更に先に進み、実際の行動制限の緩和に踏み切りつつあります。
現代日本人が極めて苦手とする事ではありますが、自分たちのこれからを決めるのは自分たち自身であると腹を据え、行動変容をするにあたって留意すべき各論をしっかりと議論して社会の中で共有を心掛け、更には事を為すにあたってのメリットとデメリットを潔く受け入れた上で、そろそろ前に進んでいくべき時期に差し掛かって来ているのではないかと考えています。