1979年8月2日に広島球場で行われた広島対巨人の7回の裏のカープの攻撃、球場は騒然たる雰囲気に包まれました。
この前日、巨人の西本聖投手のシュートを受けて左肩甲骨を骨折し、担架で退場した衣笠祥雄選手の代打が告げられたためです。誰でも到底試合出場は無理と思い、本人も前夜は激痛で眠れなかったそうですが、当日になると痛みも少し和らいだので球場に駆け付けたのには古葉監督も驚愕、連続試合出場の日本記録も目前に迫っていたので「代走くらいで出そうか」と一旦は思ったそうですが、本人がバットも振れるというので代打に出すこととなりました。
相手はエースの江川卓投手、私もテレビ中継を見てその出場に驚きました。そして多くの人が立っているだけなのかなと思っていたのに反して、三球ともフルスイング、いずれも空振りでしたが、当たればホームランという豪快な振り方でした。
私は数年前に西本投手と直接会う機会があり、その時のことを尋ねたことがありますが、ぶつけた日は取り返しのつかないことをしてしまったと悔やんだが、衣笠選手が退場の際に「西本には気にするなと言っておいてくれ」と言った言葉を伝えられたそうです。そして翌日そのユニフォーム姿を見て驚嘆、相手方ベンチに詫びに行ったところ、逆に慰められたということでした。そして7回の裏の登場、本当に涙が止まらなかったそうです。
冒頭のタイトルは、その試合後の記者会見における衣笠選手の言葉です。そして「それにしても江川投手の球は速かった」とも付け加えました。
彼はその年の日本シリーズの最終戦最終回で抑えに出て来た江夏豊投手が、ベンチからの信頼感に疑問を持って動揺していた時に、マウンドに近寄って「お前が辞めるなら俺も辞めるからな」と声を掛けて落着かせたというエピソードも持っています。有名な「江夏の21球」の一こまです。
現在の異様な社会環境ではどうしても皆の心に余裕がなくなり、自分本位に走ったり他者を悪者にしたり、或いは自己中心的な「自分に優しく、他人に厳しく」といった言動が目立って人の心が荒れがちとなり、社会の分断が懸念されています。
このような時にこそ大切なのは人を思いやる心、自分だけではなく相手の立場に立った視点を持つ事であると考えます。
かつて娘が成長していく際に最も願ったのは、学業よりも、まずは心根が優しく思いやりのある人間になって貰いたいという事でした。
先日久し振りに会い、仕事のことで少し相談がありましたが、勤務する会社の同僚や上司から愛され信頼されて、それに誠実に応えている姿勢が良く分かり、大変嬉しく思いました。
「自立した人とは、人の手を借りない人ではなく、人と共に生きる覚悟ができている人である」というのは、娘の高校の大先輩となる諏訪中央病院名誉院長の鎌田實さんの言葉です。
故衣笠祥雄選手は進駐軍の兵士と日本人の母の間に生まれ、祖父母に預けられ育てられた境遇であり、また鎌田實さんは物心がつく前から貧しい養父母に育てられ「大学進学などするな、もしするならば全て自力で」と言われた方です(出自の事は30数歳になるまで知らなかったそうです)。
困難や逆境は、時に物事を洞察する目と人の心を理解する心を養って、人間として成長させるバネともなるということですね。