ちょうど一週間前の今月13日に、私の大学野球部同期のY君があの世に旅立ちました。享年64歳です。
彼はここ数年、食道癌などを患って、度々治療をしていたのですが、酒や煙草も一切止めず、また大手電機メーカーのT社の要職を歴任した後、最後はグループ会社の社長として、最後まで常勤を全うしました。
昨年12月に突然本人から連絡があり、「癌が肝臓にも見つかったが、現在は通院の傍ら、今の会社には変わりなく出勤している。ついては久し振りに、私ともう一人のT(同期の主将)と三名で夕食をしたい」との申し出があり、1時間半だけという約束で食事をしました。 和やかな席ながら、相変わらず煙草を吸おうとするのでそれを制止し、また酒もほどほどにさせたのですが、その時が結果として今生の別れとなってしまいました。
彼と出会ったのは大学1年生の10代の頃ですから、半世紀近い付き合いとなるのですが、思い出は沢山あります。
2年生の春に私が企画した合コンで今の奥さんと知り合い、奥さんは野球部のマネージャーまで務めてくれて、我々のマスコットガールのような存在だったこと。 またその夏の広島合宿では、消灯後に冷蔵庫からビールを持ち出して、数名で宴会をしていたところ、2学年上の主将に部屋に踏み込まれて翌日お灸を据えられたが、どういう訳か最初から「S(私)とYが主犯に決まっている」と断定されて(要領の良いⅯも共同正犯なのに!)、広島遠征の時はおろか、帰京後しばらくの間は二人とも試合から干され、やけ酒を酌み交わし合ったこと。
翌年の春には、南房総にある大学合宿所に近い「七面山」の数百段の石段を駆け足で7周上り下りするという、毎年恒例のトレーニングがあったのですが、初日の夜のミーティングで、一学年上のO先輩から「SとYが石段登りのルールに反して途中で歩いたり、ロープを使っていた」と告発され、「ロープは掴まる為に張ってあるのじゃ」と二人でぶつぶつ言って告げ口を恨みつつも、翌日のリベンジを誓ったこと ~因みに翌日の石段登りは、高校時代は山岳部のNは別格のトップながらも、私とO先輩が熾烈に2位争いを演じ、最後は私が制して、山頂でO先輩が大の字にのびながら「S良く頑張った!」と褒めてくれましたが、Yは相変わらずマイペースで後から登って来て、到着後、山頂のお寺の境内に自生する夏みかんを肩車してもぎ取り、分け合って食べたこと!などです~ こう振り返ってみるとろくな思い出がありませんね(笑)
最後まで酒・煙草そして競馬に熱中して自分らしさを貫いたY君に、思い出話と共に、改めて敬意を表したいと思います。
つい先月にはメールを送り「太く生きるのが君の流儀だが、もうちょっと自愛してね!」と忠告したのですが、「有難う、自分の人生には大体満足しているが、また生きる意欲が出て来たよ」というやり取りもありました。
本日告別式に参列して、先程会社に着いたばかりです。 豪傑だったY君のご冥福を祈ります、合掌。